逆に考えて。
獅子舞から縁起の良さより苦笑いの比率が高まったことを考えると、たむらけんじの罪は相当重い気がするんだけどどうだろう。たとえ正月のおめでたい席であろうと、チラっと見るたびに「あの中に話芸の神が?」という考えが浮かんでしまう。
ところであの緑の布に描かれてる文様はずっと『唐草模様』だと思ってたんだけど、実際は『渦巻紋』という模様らしい。唐草模様といえば泥棒イメージもあるし、たむらけんじと合わさる事による負のイメージ増大(失礼)に繋がらなくて良かったと思う。でも唐草模様も本来は凄く縁起の良い模様。明治に唐草模様の風呂敷が大量生産されたことで『風呂敷=唐草模様』が定着し、さらに当時のポンチ絵(今のマンガ)に「唐草模様の風呂敷でほおかむりしたこそ泥の絵」が掲載されたことで今のイメージが確立されたとか。
そんな訳で印象というのはとても大事だ。条件反射のように『A=B』というイメージが固まってしまうと、それを覆すのには本来必要とされる以上の力が必要となる。例を挙げて『たむらけんじ』で考えるなら、基本『スベリキャラ』が定着しているので、そのスベリ具合を逆に笑うことで笑いが成立する。東京の仕事でしか獅子舞使わないそうだけど、この状態で"普通に"面白い会話としてのボケとツッコミが成立はし辛そうだ。だからこそキャラを変えないのかもしれない。爆笑を捨て、スベリ続ける事で小さい笑いを積み重ねるという。あくまでつまらないという。
あ、僕が何となくたむらけんじを面白く無い風に書いてますが、気のせいです。
ほら逆に考えて。逆に。